杉浦貴 - Wikipedia

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杉浦 貴(すぎうら たかし、1970年5月31日 - )は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、アマチュアレスリング選手。

愛知県名古屋市出身。

血液型B型。

杉浦貴 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 ナビゲーションに移動 検索に移動 杉浦貴 プロフィールリングネーム 杉浦貴本名 杉浦貴ニックネーム KILLINGMACHINE身長 178cm体重 89kg誕生日 (1970-05-31)1970年5月31日(51歳)出身地 愛知県名古屋市天白区所属 プロレスリング・ノアスポーツ歴 レスリング柔道トレーナー 田上明本田多聞高山善廣デビュー 2000年12月23日テンプレートを表示 獲得メダル 男子レスリンググレコローマン 全日本レスリング選手権大会 銅 1993 74kg級 銅 1994 74kg級 金 1995 82kg級 銅 1996 85kg級 銅 1997 85kg級 銀 1998 85kg級 銅 1999 85kg級 杉浦貴(すぎうらたかし、1970年5月31日-)は、日本の男性プロレスラー、総合格闘家、アマチュアレスリング選手。

愛知県名古屋市出身。

血液型B型。

プロレスリング・ノア所属。

元自衛官。

ノアのタイトルであるグローバル・オナード・クラウン(GHC)の5王座を全てを獲得(グランドスラム)した唯一の選手[1]。

また、ノアのデビュー第1号レスラーでもある。

目次 1来歴 1.1デビュー前 1.22000年 1.32001年 1.42002年 1.52003年 1.62004年 1.72005年 1.82006年 1.92007年 1.102008年 1.112009年 1.122010年 1.132011年 1.142012年 1.152013年 1.162014年 1.172015年 1.182016年 1.192017年 1.202018年 1.212019年 1.222020年 1.232021年 2得意技 2.1フィニッシュ・ホールド 2.2打撃技 2.3投げ技 2.4関節技 2.5合体技 3エピソード 4タイトル歴 5入場テーマ曲 6戦績 7メディア出演 7.1テレビドラマ 7.2バラエティ 7.3MV 7.4CM 8脚注 9関連項目 10外部リンク 来歴[編集] デビュー前[編集] 杉浦がプロレスと出会ったのは小学5年生の頃であり、テレビで初代タイガーマスクを見たその時に一瞬でファンになった。

金曜午後8時は必ずテレビにへばりつき、ほとんどのプロレス中継を観戦。

翌日の朝、学校で友達と前夜の試合について話したり、プロレスごっこで遊んだりしていた。

将来はプロレスラーになると決意していたが中学には格闘系の部活がなく、町道場もなかったため、妥協して小学時代からやっていたサッカーを続けることにした。

高校生(中京高等学校。

現在の中京大学附属中京高等学校)時代は柔道を経験、柔道2段であった。

1988年秋、たまたまテレビで見た宮原厚次に心を奪われ、タイガーマスクを初めて目の当たりにしたときよりも強い衝撃を受けた杉浦はプロレスラーよりもアマレスラーになりたいと思うようになった[2]。

高校卒業後、自衛隊に入隊し、体育学校に入校、レスリングを始める。

寮に入るとベッドやトイレなどを常にきれいに保たなければならず、もし少しでも汚ければ班長が部屋を荒らし、それを30分で片付け・掃除し直さなければならなかった。

体育学校での1日は毎日が合宿のようなものであり、走り込みやウエイトトレーニングまであらゆる運動を行った。

杉浦は週1回、自衛隊とは別にレスリング道場に通って体を鍛えていた。

アマチュアレスリングに進んでからはプロレスはあまり見なくなり、四天王プロレスもこの頃は興味がなかった。

1994年国体のグレコローマン74kg級で初優勝し、その後2度の優勝[3][4]、1995年12月に行われた天皇杯・全日本選手権大会ではグレコローマン82kg級優勝[5]の実績を持つ。

1996年4月に中国・蕭山で開催されたアジア選手権で3位以内に入賞すればアトランタオリンピックに出場できたが、あと1勝というところ(4位)で出場を逃した。

アトランタオリンピック終了後、杉浦は85kg級でシドニーオリンピックを目指すことにしたが、オリンピック出場を懸けた1999年の全日本選手権で大学生(松本慎吾、現日体大監督)に負けて出場を逃した[2]。

その後、オリンピック出場を逃したため一般自衛隊員への異動を命ぜられるが、もうすでに自衛隊に残ることや一般企業に再就職することは考えておらず、プロレス転身に対する思いを胸に秘めるようになった。

しかしプロレス転身の際に29歳であった上に妻と1児を抱えていたため、公務員を辞めるかどうかで悩んでいたが、ある日妻が「これからどうするの?」と食事の席で聞いてきて、口ごもっていたら「プロレスやったら?」と言い出したので、自身の望みを打ち明けた。

自衛隊OBの本田多聞を慕って全日本プロレスに入門し田上明の付き人となった。

入団直後、デビュー前に同団体が分裂。

練習生のまま三沢光晴が新たに旗揚げしたプロレスリング・ノアに移籍。

2000年[編集] 2000年12月23日、有明コロシアムにおける志賀賢太郎、金丸義信、森嶋猛戦で、ノア最初の新人レスラーとしてデビュー(パートナーは井上雅央と力皇猛)[2]。

2001年[編集] 2001年4月18日、プロレスリングZERO-ONEに初参戦し、アレクサンダー大塚に敗れる。

2002年[編集] 2002年6月23日、総合格闘技PRIDE.21に初参戦し、ダニエル・グレイシーに判定負け。

総合格闘技に挑戦したのはアマレスラーとしての忘れ物を探しに行くという感覚であり、本人もこれについて「アマチュア時代の気持ちがよみがえって刺激になりますからね」と話していた[2]。

2003年[編集] 2003年9月12日、マイケル・モデストを破りGHCジュニアヘビー級王座を、2005年6月5日、金丸と組んで丸藤正道&KENTA組を破りGHCジュニアヘビー級タッグ王座を奪取。

2004年[編集] 2004年7月に齋藤彰俊・井上とダーク・エージェントを結成、一方でジュニア戦線では金丸ともタッグを結成、しばしば当時スターネスに在籍していた金丸にD.A.参入を誘うが毎回丁重に断られていた。

また、団体外の活動として同年7月19日、PRIDE武士道-其の四-に参戦し、ジャイアント・シルバにサッカーボールキックでKO勝ちした。

2005年[編集] 2005年9月、斎藤とのD.A.先輩後輩コンビでGHCタッグ王座に初挑戦(王者は鈴木みのる・丸藤組)するが敗北。

2006年[編集] 2006年4月のパンクラスの「ヘビー級王座決定トーナメント」に出場。

約3か月間練習期間を設けたものの、初戦で野地竜太にKO負けを喫した。

同年6月に、GHCジュニアヘビー級王座に再度君臨、さらに8月に金丸と組んでGHCジュニアヘビー級タッグ王座を獲得し、ジュニア2冠を達成する。

しかし12月から翌年1月に、GHCジュニア2冠を相次いで手放し、以降は「中堅で終わりたくない」という気持ちからヘビー級へと転向[2]。

2007年[編集] 2007年からは高山善廣や丸藤とタッグを組むようになり、10月27日には丸藤正道と組んでGHCタッグ王座を獲得した。

2008年[編集] 2008年9月28日の戦極〜第五陣〜でシャンジ・ヒベイロと対戦し、スタンドの膝蹴りでTKO負けを喫した。

2009年[編集] 2009年1月4日、三沢光晴とのタッグで新日本プロレスの東京ドーム大会に出場し、中邑真輔・後藤洋央紀組と対戦したが中邑の腕ひしぎ逆十字固めに敗れた。

この時に殺伐としたファイトで存在感を発揮したことがのちのブレイクにつながったとされる[2]。

それ以後定期的に新日本のリングに上がるようになり、7月には棚橋弘至の保持するIWGPヘビー級王座にNOAH勢で初めて挑戦するも敗退。

8月にはG1CLIMAXにも出場した。

12月6日、日本武道館にて潮﨑豪の保持するGHCヘビー級王座に挑戦し、これを奪取。

丸藤以来となる当時のグローバル・オナード・クラウンのグランドスラムを達成。

これが認められ、12月10日に2009年プロレス大賞殊勲賞を受賞した。

2010年[編集] 2010年は、1月4日のレッスルキングダムで新日本プロレスの後藤洋央紀を相手にGHCベルト初防衛に成功し、2月28日にプロレスリング・ノア「TheSecondNavig.'10」最終戦で後藤と同じ新日本プロレスの真壁刀義相手に勝利を収めたほか、高山・秋山準・潮崎・森嶋猛[6]など強敵を相手に防衛を続け、1年間ベルトを守り通した。

この功績が認められてこの年のプロレス大賞最優秀選手賞を受賞した。

2011年[編集] 2011年1月1日付けで森嶋の後任として選手会長に就任する。

同年1月15日、大阪府立体育会館においてバイソン・スミスを相手に8度目の防衛に成功。

防衛回数は単独2位となった。

その後3月5日には有明でジャイアント・バーナード[7]を、そして3月21日の福岡国際センターではトレバー・マードックを退けて防衛回数を遂に2桁の10回に乗せた(GHCヘビー級王座を10回以上防衛したのは、絶対王者でもある第6代王者・小橋建太が13回防衛して以来となる)。

トレバー戦終了後のインタビューで鈴木みのるを挑戦者に指名する。

しかしそのインタビューで杉浦が東日本大震災の被災者への「落ち着いてから応援してくれれば…」と解釈出来るコメントに対し鈴木はまったく異なる意見を持っていたため、3月27日の6人タッグマッチ戦で鈴木に敗北した直後、鈴木から「俺は、お前に言いたい事がある」と前置きの上マイクを通して4分近くに渡り「プロレス感の相違」についての怒りをぶつけられ、バックステージインタビューでも「お前が俺と闘いたい?百年早いんだよ!」と鈴木がコメントし、GHC選手権の挑戦者指名を拒否されてしまう。

だが、4月16日の後楽園ホール大会に鈴木が来場し杉浦の試合後にマイクを取り、鈴木が「自ら挑戦」を表明する事により一転してカードが成立した。

そして5月8日の有明コロシアム大会にて鈴木とベルトを賭けて対戦、オリンピック予選スラムで防衛に成功し防衛記録は11回となった。

続いて同月の欧州ツアーにて自ら連続防衛戦を希望。

1度防衛するごとに次大会で防衛戦開催を決定するというスタイルで3連続防衛(デイブ・マスティフ、クラウディオ・カスタニョーリ、鈴木鼓太郎)に成功し、小橋の13回の記録を一気に突破し、GHC連続防衛新記録を達成した[8][9]。

また、グローバルタッグリーグで同じくパートナー不在であったディスオベイのモハメド・ヨネとタッグを組み出場し、即席タッグとの下馬評を覆し3チームタイの第3位の好成績を残した。

これ以降、ヨネとのタッグを継続する。

7月10日、有明コロシアムでベルトを奪取した時の相手であった潮崎とGHCヘビー級選手権15度目の防衛戦を行うが潮崎の変形ノーザンライトボム(変形ゴー・フラッシャー)で敗れ、1年7ヶ月(防衛記録14回)という長期政権から陥落した。

同月23日、大阪府立体育館での佐々木健介戦では、試合開始直後から両者とも感情的かつ豪快にやり合い最後はパンチでの殴り合いから両者ともダウン。

そのまま両者KOによる引き分けになり、決着がつかなかった。

8月17・18日ディファ有明大会で開催された2デイズ・タッグ・トーナメントでは、ANMUの青木篤志と組んで出場。

1回戦で秋山・小川良成組と対戦し勝利する。

決勝戦で高山とKENTAのNOMERCYと対戦したが敗北を喫し、準優勝となった[10][11]。

9月29日に行われたプロレスリング・ノアの株主総会にて、同社の取締役に就任した。

10月、潮崎の保持するGHCに挑戦するため、KENTAとの挑戦者決定戦を行ったがgo2sleepで轟沈した。

11月、グローバル・リーグに出場する。

序盤から連敗を重ねるも、KENTAをフロントネックロックで絞め落とし128秒殺勝利を収め、快調に試合を消化させていた健介との再戦ではオリンピック予選スラムで撃沈させ健介のビクトリーロードを阻むなど、後半戦で盛り返し大健闘の3位となった。

12月、新日本プロレスの後藤の指名で青木をタッグパートナーに従え、後藤・KUSHIDA組と対戦。

KUSHIDAをオリンピック予選スラムでフォールを奪い、難無く勝利を収める。

試合後、後藤が東京ドームでシングルでの再戦を要求しこれを承諾、東京ドームでの後藤との対戦はタッグ戦を含めて今回で4度目となる[12]。

2012年[編集] 1月4日、東京ドーム大会「レッスルキングダム」にて後藤とシングルマッチで4度目の対戦。

後藤の裏昇天からの昇天・改でフォールを奪われ、シングル初黒星となった。

同月中旬、丸藤と手を組み新ユニット「丸藤軍」を結成、ディスオベイの解散に伴い、丸藤軍加入を申し込んできたヨネを、「適正試験」という名目でシングルマッチを行いこれに勝利。

試合後、ヨネのユニット加入に対し「保留」とコメントした。

3月18日の横浜文化体育館大会で森嶋猛の持つGHCヘビー級王座への挑戦が決まっていたが、3月7日の試合後に身体が激痛に襲われ、病院での診察の結果腰椎椎間板ヘルニアであることが判明、17日の試合から欠場[13]。

8月25日の後楽園ホール大会で復帰した[14]。

欠場期間中に105kgあった体重は89kgまで減少した[15]が、増量しないまま体作りをして復帰している。

2013年[編集] 5月21日、方舟新章大会でKENTAにGHCヘビーに敗れて以降、ノアを面白くする理由で悪に染まりNOMERCYに新加入した。

12月31日、日本テレビ系列番組ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!の年末特番「絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時」に出演し、算数の問題を間違えたココリコの遠藤章造に罰ゲームでヘッドバットを喰らわせるレスラーとして番組に登場した。

2014年[編集] 右ひじ負傷のため、1月の全試合を欠場した。

1月29日、ZERO1の新木場大会において田中将斗が「2月11日の後楽園ホール大会にタッグパートナーとして杉浦貴を連れてくる」と発言、2月3日のノア後楽園ホールでの復帰戦に田中がセコンドに付きタッグ結成のアピールとなった。

その後ZERO1、ノア双方のリングでタッグで出場した。

2月22日、ディファ有明にてKENTAを相手にGHCヘビー級王座を防衛し、勝利者インタビューの後に「ナガダンス」を踊っていた永田裕志を背後から襲撃し、「神聖な緑のマットでヘンテコなダンス踊ってんじゃねぇよ、バカ!」と吐き捨て、同王座への挑戦を表明[16]。

3月8日、有明コロシアムにて挑戦するも敗れた。

4月、グローバル・タッグ・リーグ戦に田中と組んで出場し優勝する。

5月6日、ZERO1後楽園ホール大会にて大谷晋二郎・KAMIKAZE組に挑戦し、NWAインターコンチネンタルタッグ王座を獲得。

続いて5月31日、ディファ有明にて森嶋、マイバッハ組に挑戦しGHCタッグ王座を獲得、タッグ二冠王者となった。

9月23日、新潟市体育館大会で自身共に初となる電流爆破マッチのリングに上がる。

10月から11月にかけて行われたグローバル・リーグ戦では田中、永田を相手に星を落とすも、優勝決定戦に進出。

同じく反対ブロックから優勝決定戦に上がってきた関本大介を破り、初優勝を果たした。

12月6日、有明コロシアム大会にて丸藤の保持するGHCヘビー級王座に挑戦し、30分を超える激闘を繰り広げるも丸藤の虎王からの変形エメラルドフロウジョンを受け敗北した。

12月9日、弾丸ヤンキースとして田中とプロレス大賞の最優秀タッグチーム賞を受賞。

2015年[編集] 1月10日、TheMightyDon'tKneelに敗れ、GHCタッグ王座から陥落する。

4月19日から5月4日にかけて行われたグローバル・タッグリーグ戦では前年同様田中と組んで出場し、決勝戦でK.E.S.を破り2年連続の優勝を果たす。

5月10日、鈴木軍に流出したGHCタッグ王座をかけてK.E.S.に挑戦したが敗れ、王座奪取はならなかった。

9月19日、鈴木の持つGHCヘビーに挑戦したが敗れた。

その後は飯塚高史と抗争を繰り広げる。

12月23日、飯塚とのシングルマッチに勝利するが同日のメインで鈴木を破り、GHCヘビー級新王者となった丸藤に裏切りのオリンピック予選スラムを仕掛け、鈴木軍に電撃加入を果たした。

翌24日、ノアは杉浦の選手会会長の解任を発表した。

2016年[編集] 1月31日、横浜文化体育館大会でGHCヘビー級王座をかけて王者・丸藤に挑み、椅子攻撃を連発後、オリンピック予選スラムを決めて勝利し5年ぶりに同王座を戴冠した。

5月28日、潮崎に敗れてGHCヘビー級王座陥落。

7月30日、潮崎とのランバージャックデスマッチに勝利し最多タイとなる3度目のGHCヘビー級王座獲得に成功。

10月23日、中嶋勝彦とのGHCヘビー戦に敗れ、王座から陥落。

12月2日、メインイベントのGHCヘビー級選手権試合、中嶋vs鈴木みのる戦の試合後、鈴木軍のメンバーを蹴散らし、そして敗れた鈴木に裏切りのオリンピック予選スラムを決めて鈴木軍から脱退。

翌3日のディファ有明大会、メインイベントで急遽カード変更によって鈴木との一騎討ちを行った。

33分30秒の激闘の末オリンピック予選スラムで勝利を収め、これで杉浦は事実上鈴木軍をNOAHマットから追放した形となった。

試合後には丸藤から再び共闘を呼び掛けられ握手を求められるもこれに応えず、一人でNOAHの選手全員と戦うことを表明した。

2017年[編集] 6月5日、心房細動の手術を行うため長期欠場することを発表[17]。

10月28日、後楽園ホール大会における杉浦貴&拳王vs中嶋勝彦&LEONA戦にて復帰。

2018年[編集] 3月11日、横浜文化体育館にて拳王が保持するGHCヘビー級王座に挑戦し、これを奪取。

12月16日、清宮海斗に敗れ王座陥落。

2019年[編集] KAZMASAKAMOTO、NOSAWA論外と杉浦軍を結成。

後に大原はじめ、鈴木秀樹、桜庭和志、藤田和之も加入。

11月2日、新設されたGHCナショナル王座を賭けマイケル・エルガンと対戦。

勝利を収めて初代王者になると同時にグローバル・オナード・クラウンのグランドスラムを改めて達成。

11月26日、谷口周平を破りナショナル王座初防衛。

12月27日には杉浦軍興行「犬ども全員集合!後楽園で吠えろ!」を開催し、この大会はYouTubeで生配信された。

メインイベントは杉浦貴・桜庭和志vs藤田和之・鈴木秀樹のタッグマッチ。

重厚なレスリングを展開していたが拳王率いる金剛が乱入し、杉浦軍vs金剛のタッグマッチに変更。

最後は杉浦がピンフォール勝ちで大会を締めくくった。

2020年[編集] 1月4日、後楽園大会でマサ北宮を破りナショナル王座2度目の防衛に成功。

2月24日、名古屋大会で清宮海斗を破り3度目の防衛に成功。

自らの生まれ故郷で旗揚げ20周年記念ビッグマッチの第1弾を締めくくった。

試合後田中稔が挑戦表明。

3月29日、後楽園大会(無観客試合)で田中を破り4度目の防衛。

試合後には中嶋勝彦が登場し、「杉浦貴、防衛おめでとうございます。

その赤くておいしいベルト、シンプルに取りたいんです。

はっきり言います。

挑戦表明です。

どうですか」と次期挑戦者に名乗りを上げた。

これに対し杉浦は、FIGHTINGTVサムライとDDTUNIVERSEのテレビカメラに向かって「視聴者のみなさん、中嶋勝彦、YESかNOか」と問いかけると、しばらく間をおいて「オイ、YESらしいぞ、よしやろう。

やってやるよ。

場所はどこでもいい」と受諾した。

5月9日、中嶋に敗れGHCナショナル王座を手放す[18]。

8月30日、桜庭とのタッグで潮崎&中嶋を下し、GHCタッグ王座を獲得。

その後、清宮海斗&稲村愛輝組、マサ北宮&征矢学組、丸藤正道&船木誠勝組を相手に防衛。

12月6日、潮崎の持つGHCヘビー級王座に2年ぶりに挑戦。

50分にわたる死闘の末、敗北。

2021年[編集] 3月7日、横浜大会で中嶋&北宮組に敗れGHCタッグ王座を手放す[19]。

4月29日、藤田和之を下しGHCナショナル王座を2度目の戴冠。

得意技[編集] 鍛え抜かれた肉体を駆使した寝技、投げ技が多く、小細工なしのパワーファイトを展開し、技に移行する際の気合いが他のレスラーを圧倒するのも特徴で新日本プロレスの実況ではそのパワーファイトスタイルから「重戦車」と例えられることが多い。

杉浦と同じくアマチュアレスリング出身であるカート・アングルの得意技を多く取り入れている。

フィニッシュ・ホールド[編集] オリンピック予選スラム 杉浦の代名詞である主要フィニッシュ・ホールド。

相手をアルゼンチン・バックブリーカーの形に抱え上げ、そのままの勢いで倒れこみマットに叩きつける技。

この技の元祖でもあるアングルは相手の背中・肩口から落とす形で使っているが、杉浦の場合は、デスバレー・ボムのように相手を高角度で相手頭部から落とす変型アングル・スラム(旧名オリンピック・スラム)。

大一番ではコーナー最上段から放つ雪崩式を使用することがある。

アングルは自身がオリンピック出場経験者であることから、かつて「オリンピック・スラム」の名称でこの技を使用していた。

これに対し杉浦はオリンピック予選敗退であったため、技名にも予選が付けられた。

アンクルホールド 杉浦のもう一つのフィニッシュ・ホールド。

うつぶせの相手の足首をひねり上げる関節技。

杉浦の場合は仰向けになっている相手の足首を取り前転した勢いで相手を回転させ、うつ伏せ状態にしたところで仕掛けるというパターンを持つ。

この技で杉浦はKENTAからギブアップを奪いGHCジュニアヘビーのベルトを獲得し、後藤や中嶋からはGHCヘビー級ベルトの防衛に成功している。

ここからヒールホールドに移行して踵を極める場合もある。

フロントネックロック 座り込んで締め上げる事が多く、2011年のグローバル・リーグ戦ではKENTAを失神KOさせており、佐野巧真との対戦でもタップを奪い、また、拳王をこの技でKOし、GHCヘビー級を奪取するなどフィニッシュ技としても十分な威力を持つ。

打撃技[編集] エルボー こちらも張り手と同じく打撃合戦になるとよく使用する。

杉浦は試合が終盤に差し掛かると膝立ち状態の相手の後頭部めがけてエルボーを打ち付けることがあり、一撃の効果は非常に高い。

三沢の影響を受けてからか、ランニング式とマウント式も使用する。

逆水平チョップ 張り手 平手を横に振って相手の顔の側面を叩く技。

打撃合戦になるとよく使用し、その際に気合いの声をあげる。

クローズライン ローリング・ソバット 主にタッグマッチで使用。

フロント・ハイキック 基本的に助走をつけて放つことが多いが、相手が走って向かってきたところにカウンター技として用いることもある。

ランニング・ニー・バット 座っている相手、しゃがんでいる相手に助走をつけておもいっきり胴体、顔面をけり上げる技。

時にはコーナーに座り込んだ相手の、逆さ刷り状態になった相手にも放つ。

サッカーボールキック 尻餅をついている相手の背中を利き足である左足の甲で思い切り蹴る技。

スピアー コーナーに寄りかかっている相手に放ち、避けられて鉄柱やターンバックルに突っ込むのもお約束ムーブの1つである。

投げ技[編集] ブレーンバスター 雪崩式ブレーンバスター 中年'sリフト(杉浦'sリフト)[20] アマチュアレスリングで使われる「俵返し」と同型の技。

相手の背中越しに腰に手を回して力任せに裏返してしまう。

杉浦はここからカナディアン・バックブリーカーに発展させることもある。

名前はアレクサンドル・カレリンのカレリンズ・リフトに引っ掛けたもの。

過去に断崖式で放ったことがある。

米満リフト ロンドン五輪レスリング金メダリストの米満達弘直伝。

両足タックルから一気に相手を担ぎ上げ、自らがマットにダイブするようにたたきつける。

そのままジャックナイフ式に固めフォールを奪う。

フルネルソン・スープレックス フルネルソン(羽交い締め)から後方へ投げる技。

ホールド式も使う。

ビッグマッチ等ではジャーマンからのロコモーション式で使用することが多い。

フロント・スープレックス 相手を前方から抱えて後方へ放り投げる技。

ハイクラッチ・ジャーマン・スープレックス 通常と違い、鳩尾から胸の辺りをクラッチするジャーマン・スープレックス。

投げっぱなし式の場合、投げられた相手は顔面あたりからマットに叩きつけられることになる。

ターンバックル・ジャーマン・スープレックス リングの対角線上に設置されているターンバックル目掛けて相手を投げつける、投げっぱなしジャーマン・スープレックス。

あまりにも危険すぎるため、基本的には、大一番しか使用しない。

水車落とし 主に串刺し式のスピアーからの連携で放つ。

最近はほとんど使っていない。

雪崩式フランケンシュタイナー 主に大一番で使用することが多いが、相手との体格の関係で敢行中に足のクラッチがはずれたり体勢が崩れることがある。

2010年12月の森嶋戦の際、上記の理由で足のクラッチがはずれ、脳天から真っ逆さまにリングに落下して自爆する形となっている。

関節技[編集] ボストンクラブ 合体技[編集] ダブルインパクト 桜庭和志との連携技である。

エピソード[編集] 総合格闘技ルールの試合にも出場している。

東京スポーツ紙上で人生相談を行っている。

自らをスピリチュアル・カウンセラーと称している。

2009年6月14日、前日に三沢光晴が急逝した翌日に行われた博多スターレーン大会の開場前、前日の広島県立総合体育館グリーンアリーナ(小アリーナ)大会で三沢とともにGHCタッグ選手権試合に臨み、三沢最後のタッグパートナーとなった潮崎豪が涙を流していた。

潮崎は誰にも気づかれないように頭からタオルをかぶっていたが、その一部始終を見ていた杉浦は潮崎に「泣くのなら、終わってから泣けよ」と言葉をかけた[21]。

この言葉で潮崎は気持ちを入れ替えることができ、この日のメインイベントで行われたGHCヘビー王座決定戦で力皇猛を相手に勝利し、デビューから4年1か月での同王座戴冠を果たした[22]。

試合後の会見で、潮崎は杉浦に言われていたように涙を流してコメントを発した[22]。

2010年に日清食品チルド「つけ麺の達人」のCMに公募し出演していた。

自他ともに認めるキャバクラ好き。

人呼んで「Mr.ススキノ」[23]。

かつてはキャバクラ好きが昂じて「GlobalHonoredCabacura」(通称「GHCキャバ」「キャバクラベルト」)という独自のチャンピオンベルトを製作していたこともある[24]。

愛犬家で知られ、自身の軍団のTシャツには愛犬の顔がプリントされている[25]。

タイトル歴[編集] プロレスリング・ノア 史上2人目のGHCジュニア2冠王者で(杉浦はキャバクラベルト含め3冠だと言い張っている)、史上2人目のノアが主催するヘビー級シングル、タッグの両リーグ戦を制覇した選手。

また、史上唯一のグローバル・オナード・クラウン全5王座獲得経験者である。

第16代・第25代・第27代・第31代GHCヘビー級王座(防衛回数は14回→1回→2回→6回) 初代・第5代GHCナショナル王座(防衛回数は4回→2回) 第16代・第27代・第31代・第38代・第50代・第54代GHCタッグ王座(パートナーは丸藤正道(第16代・第27代):防衛回数は2回→1回⇒田中将斗(第31代):防衛回数は4回⇒拳王(第38代):防衛回数は0回⇒KAZMASAKAMOTO(第50代):防衛回数は0回⇒桜庭和志(第54代):防衛回数は3回) 第7代・第11代GHCジュニアヘビー級王座 防衛回数は2回→1回 第2代・第4代GHCジュニアヘビー級タッグ王座(パートナーは金丸義信) 防衛回数は2回→1回 グローバル・リーグ戦 2014年大会-優勝 グローバル・タッグ・リーグ戦 2014年大会・2015年大会・2019年大会-優勝(パートナーは田中将斗2大会→KAZMASAKAMOTO) プロレスリングZERO1 第30代世界ヘビー級王座 第30代NWAインターコンチネンタルタッグ王座(パートナーは田中将斗) 風林火山 2014年大会-優勝(パートナーは田中将斗) プロレス大賞 2009年殊勲賞 2010年最優秀選手賞(MVP) 2014年最優秀タッグチーム賞(パートナーは田中将斗) 2020年最優秀タッグチーム賞(パートナーは桜庭和志) 入場テーマ曲[編集] 杉浦はロック音楽に造詣が深く、ほとんどがロック歌手・グループの楽曲を使用している。

WAR/ブルース・スプリングスティーン DOTHEEVOLUTION/パール・ジャム FELLINLOVEWITHAGIRL/ザ・ホワイト・ストライプス ROADTOSUSUKINO〜ススキノへ行こう!〜/札幌太郎と北海兄さんずwith五十嵐浩晃(北海道大会限定) ミサイルマン/ザ・ハイロウズ WhenLoveComesToTown/U2 G.W.D/THEEMICHELLEGUNELEPHANT UNLEASH(現在使用)[26] 戦績[編集] 総合格闘技戦績 4試合 (T)KO 一本 判定 その他 引き分け 無効試合 1勝 1 0 0 0 0 0 3敗 2 0 1 0 勝敗 対戦相手 試合結果 大会名 開催年月日 × シャンジ・ヒベイロ 3R4:18TKO(膝蹴り) 戦極〜第五陣〜 2008年9月28日 × 野地竜太 1R3:25KO(踏みつけ) PANCRASE2006BLOWTOUR 2006年4月9日 ○ ジャイアント・シルバ 1R2:35TKO(パウンド) PRIDE武士道-其の四- 2004年7月19日 × ダニエル・グレイシー 3R(10分/5分/5分)終了判定1-2 PRIDE.21 2002年6月23日 メディア出演[編集] テレビドラマ[編集] あなたの人生お運びします!第5話(2003年、TBS)-ボディガード役※高山善廣と共に出演。

若者たち2014第1話、第5話、第8話、第10話(2014年7月-9月、フジテレビ)-杉浦貴役[27][28] バラエティ[編集] 絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時(2014年12月31日、日本テレビ)-ミッションとして出された計算問題を間違えたココリコの遠藤章造にヘッドバットを決めに来た。

リンカーン(2013年8月20日、TBS)-罰ゲームで芸人にプロレス技を決める。

MV[編集] FUNKIST「ALLTOGETHER」(2011年8月24日、ポニーキャニオン) いきものがかり「ラブとピース!」(2015年)[29] CM[編集] つけ麺の達人(2010年、日清食品チルド) 脚注[編集] [脚注の使い方] ^過去にノアが管理していたもう一つのタイトルであるグローバル・ハードコア・クラウン(白GHC)は未獲得のまま。

^abcdefベースボールマガジン社『レスラーヒューマンストーリーIIプロレスラー男の履歴書』p104-111 ^52回大会グレコ82kg級、54回大会グレコ97kg級 ^国民体育大会記録集日本スポーツ協会 ^杉浦貴日本レスリング協会選手&大会データベース ^前哨戦のタッグマッチでは森嶋が杉浦を99秒でピンフォール勝ちしていた。

^この試合での調印式でバーナードから突然、パワーボムで調印席に叩き落とされ腰を負傷する。

^5月9日(月)杉浦選手記者会見の模様|PRO-WRESTLINGNOAHOFFICIALSITE ^選手紹介|PRO-WRESTLINGNOAHOFFICIALSITE ^8月17日試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト ^8月18日試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト ^これに関して杉浦は『正月の恒例』と受け止めており、自身の娘からも『そろそろ後藤戦だね』と言われたことを東京ドーム大会対戦カード発表会見後のインタビューで語っている。

[1] ^“杉浦貴選手欠場のお知らせ”.2012年11月23日閲覧。

^“杉浦貴が5か月ぶりに復帰”.東京スポーツ.(2012年8月26日).http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/34120/2012年11月23日閲覧。

  ^“欠場1か月の杉浦げっそり105キロ→89キロ”.東京スポーツ.(2012年4月13日).http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/3839/2012年11月23日閲覧。

  ^“永田がKENTAを下してGHCヘビー初防衛!しかし、杉浦貴がナガダンスを妨害!タイトル戦を要求!【2月22日ノア・ディファ大会試合結果】”.新日本プロレス公式サイト.https://sp.njpw.jp/488182020年5月18日閲覧。

  ^杉浦貴選手欠場のお詫びとご報告。

記者会見の模様【ご理解賜りたく重ねてお願い申し上げます】プロレスリングノア.2017年6月5日(2018年3月11日閲覧) ^“2020年05月09日土GHCNATIONALCHAMPIONSHIPSUGIURAvsNAKAJIMA”.プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLINGNOAHOFFICIALSITE.2020年6月3日閲覧。

^“2021年03月07日(日)GREATVOYAGE2021inYOKOHAMA”.プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLINGNOAHOFFICIALSITE.2020年7月25日閲覧。

^2010年、新日本の東京ドーム大会での試合をテレビ朝日『ワールドプロレスリング』で放送した際に、テレビ朝日の古澤琢アナウンサーがこの名称を使用 ^『2009年6月13日からの三沢光晴』主婦の友社、2015年、133頁。

ISBN978-4-07-412910-2。

^ab『2009年6月13日からの三沢光晴』主婦の友社、2015年、134頁。

ISBN978-4-07-412910-2。

^プロレス万博!抱腹絶倒の第1夜・杉浦選手超ヤバい秘密公開マッチ-芸人報道GNN ^GHC新王者の杉浦が新日本出撃を示唆=ノア丸藤が新技披露で復帰戦に勝利-Sportsnavi・2009年12月7日 ^noah_ghcのツイート(1148064837462704129) ^2020年12月6日の代々木大会から使用している、自身初のオリジナル入場曲。

^“杉浦が“共演中”の妻夫木聡に来場要請”.東スポweb.(2014年8月13日).http://www.tokyo-sports.co.jp/prores/mens_prores/300778/2017年5月5日閲覧。

  ^“フジテレビドラマ「若者たち2014」選手出演のお知らせ”.プロレスリング・ノア公式サイト.(2014年6月27日).http://www.noah.co.jp/news_detail.php?news_id=62432017年5月5日閲覧。

  ^“いきものがかり、10/15放送『スッキリ!!』で新曲MV初オンエア”.BARKS(ジャパンミュージックネットワーク).(2015年10月13日).http://www.barks.jp/news/?id=10001205982015年10月17日閲覧。

  関連項目[編集] プロレスラー一覧 男子レスリング選手一覧 SRC選手一覧 PRIDE選手一覧 外部リンク[編集] 杉浦貴-InternationalWrestlingDatabase(英語) 選手紹介|PRO-WRESTLINGNOAHOFFICIALSITE SRC選手データ パンクラス選手データ バウトレビュー選手データ SHERDOG選手データ TakashiSugiura(@noah_sugiura)-Twitter 表話編歴プロレスリング・ノア選手 正式所属 ヘビー級 稲村愛輝 岡田欣也 清宮海斗 キング・タニー 拳王 齋藤彰俊 潮崎豪 杉浦貴 征矢学 中嶋勝彦 藤田和之 マサ北宮 丸藤正道 武藤敬司 モハメド・ヨネ ジュニアヘビー級 大原はじめ 小川良成 小峠篤司 原田大輔 タダスケ 仁王 NOSAWA論外 覇王 HAYATA 宮脇純太 矢野安崇 YO-HEY 吉岡世起 フリーランス・その他団体 ヘビー級 稲葉大樹 井上雅央 桜庭和志 鈴木秀樹 田中将斗 船木誠勝 宮本裕向 村上和成 ジュニアヘビー級 アレハンドロ 熊野準 ケンドー・カシン 鈴木鼓太郎 進祐哉 日高郁人 藤村加偉 海外参戦 ヘビー級 アレックス・ハマーストーン イホ・デ・ドクトル・ワグナーJr. エディ・エドワーズ マイケル・エルガン レネ・デュプリ ジュニアヘビー級 イホ・デ・カニスルプス クリス・リッジウェイ スペル・クレイジー ソニコ ドラゴン・ベイン ユニット・タッグ M'salliance 丸藤正道 望月成晃(DRAGONGATE) 武藤敬司 宮本裕向(暗黒プロレス組織666) 田中将斗(プロレスリングZERO1) 金剛 拳王 仁王 征矢学 タダスケ 中嶋勝彦 船木誠勝(フリー) 大原はじめ 杉浦軍 杉浦貴 NOSAWA論外(東京愚連隊) 鈴木秀樹(フリー) 桜庭和志(フリー) 藤田和之 ケンドー・カシン(フリー) STINGER 小川良成 HAYATA 吉岡世起 進祐哉(プロレスリングFREEDOMS) ファンキーエクスプレス キング・タニー モハメド・ヨネ 齋藤彰俊 井上雅央(フリー) PERROSDELMALDEJAPON NOSAWA論外(杉浦軍兼任) 鈴木鼓太郎(フリー) 日高郁人(ショーンキャプチャー) Eita(DRAGONGATE) スペル・クレイジー(フリー) 役員 現体制 高木規(高木三四郎)(代表取締役社長) 丸藤正道(取締役副社長) 西垣彰人(取締役副社長) 山内隆裕(取締役) 武田有弘(取締役) 退任 鈴木裕之(代表取締役/リデットエンターテインメント代表取締役社長) 新原孝一(取締役会長COO) 内田雅之(元取締役会長・リデット社顧問) 不破洋介(元代表取締役社長) スタッフ レフェリー 福田明彦(チーフ) 西永秀一(サブチーフ) 中山真一 リングアナウンサー 味方冬樹 GHC管理委員 ケビン・フォン・エリック 力皇猛 退任 浅子覚(元メディカルトレーナー) 大川正也(元リングアナ) 難波信二(異動、元リングアナ) マイティ井上(引退、元レフェリー) 山本義浩(元レフェリー) 松丸元気(フリーリングアナ) タイトル グローバル・オナード・クラウン GHCヘビー級 GHCナショナル GHCタッグ GHCジュニアヘビー級 GHCジュニアヘビー級タッグ グローバル・ハードコア・クラウン グローバル・ハードコア・クラウン無差別級 リーグ戦 N-1VICTORY グローバル・タッグ・リーグ戦 グローバル・ジュニア・ヘビー級リーグ戦 グローバル・ジュニアヘビー級タッグ・リーグ戦(日テレG+杯) モーリシャス杯争奪リーグ戦 興行 プロレスリング・セム 東京ドーム大会 GREATVOYAGE'09 CyberFightFes 2021 引退 浅子覚 太田一平 伊藤旭彦 力皇猛 小橋建太 田上明 森嶋猛 平柳玄藩 友寄志郎 故人 百田義浩(取締役) 三沢光晴(創設者・初代代表取締役) ラッシャー木村(終身名誉選手会長) ジョー樋口(初代監査役・初代GHC管理委員長) バイソン・スミス 仲田龍(元取締役・リングアナウンサー) 永源遙(元常務取締役) ハーリー・レイス(2代GHC管理委員長) 提携団体 現在 インパクト・レスリング MLW AAA IWRG 過去 新日本プロレス KAIENTAIDOJO ROH WLW 関連項目 CyberFight(運営会社) ノア・グローバルエンタテインメント(旧運営会社) サイバーエージェント(親会社) ピーアールエヌ(旧:株式会社プロレスリング・ノア) GPWA プロレスリング・ノア中継(日本テレビ) ディファ有明 力道山杯 ディファカップ ALLTOGETHER NOAH“NEWHOPE”(ABEMA) NOAHABEMA中継 WRESTLEUNIVERSE 選手一覧における選手は、五十音順としている。

ユニットはノア内ユニットを先に表記し、表記順は五十音順で、ユニットメンバーはリーダー・発起人が明確な場合は、その選手を先頭へ書き出し太字とし、その他は加入順(同時期に加入の選手は五十音順)。

引退・故人は、事実発生順。

 獲得タイトル表話編歴GHCヘビー級王者初代-10代 1三沢光晴 2秋山準 3小川良成 4高山善廣 5三沢光晴 6小橋建太 7力皇猛 8田上明 9秋山準 10丸藤正道 11代-20代 11三沢光晴 12森嶋猛 13佐々木健介 14秋山準 15潮崎豪 16杉浦貴 17潮崎豪 18森嶋猛 19KENTA 20森嶋猛 21代-30代 21永田裕志 22丸藤正道 23鈴木みのる 24丸藤正道 25杉浦貴 26潮崎豪 27杉浦貴 28中嶋勝彦 29エディ・エドワーズ 30拳王 31代-40代 31杉浦貴 32清宮海斗 33潮崎豪 34武藤敬司 35丸藤正道 36中嶋勝彦 37藤田和之 表話編歴GHCジュニアヘビー級王者初代-10代 1金丸義信 /2高岩竜一 /3丸藤正道 /4橋誠 /5金丸義信 /6マイケル・モデスト /7杉浦貴 /8獣神サンダー・ライガー /9金丸義信 /10KENTA 11代-20代 11杉浦貴 /12高岩竜一 /13ムシキング・テリー /14金丸義信 /15ブライアン・ダニエルソン /16KENTA /17中嶋勝彦 /18KENTA /19金丸義信 /20鈴木鼓太郎 21代-30代 21中嶋勝彦 /22リッキー・マルビン /23中嶋勝彦 /24金丸義信 /25近藤修司 /26石森太二 /27原田大輔 /28小峠篤司 /29タイチ /30石森太二 31代-40代 31金丸義信 /32小峠篤司 /33大原はじめ /34HAYATA /35石森太二 /36原田大輔 /37鈴木鼓太郎 /38原田大輔 /39田中稔 /40HAYATA 41代-50代 41小川良成 /42鈴木鼓太郎 /43原田大輔 /44吉岡世起 /45小峠篤司 /46HAYATA /47原田大輔 表話編歴GHCタッグ王者初代-10代 1ベイダー&スコーピオ 2三沢光晴&小川良成 3大森隆男&高山善廣 4森嶋猛&力皇猛 5秋山準&齋藤彰俊 6小橋建太&本田多聞 7棚橋弘至&永田裕志 8三沢光晴&小川良成 9ダグ・ウイリアムス&スコーピオ 10鈴木みのる&丸藤正道 11代-20代 11森嶋猛&モハメド・ヨネ 12小橋建太&本田多聞 13森嶋猛&モハメド・ヨネ 14秋山準&力皇猛 15ディーロ・ブラウン&ブキャナン 16丸藤正道&杉浦貴 17バイソン・スミス&齋藤彰俊 18佐々木健介&森嶋猛 19力皇猛&モハメド・ヨネ 20バイソン・スミス&キース・ウォーカー 21代-30代 21高山善廣&佐野巧真 22ジャイアント・バーナード&カール・アンダーソン 23秋山準&齋藤彰俊 24サモア・ジョー&マグナス 25KENTA&マイバッハ谷口 26潮﨑豪&齋藤彰俊 27丸藤正道&杉浦貴 28矢野通&飯塚高史 29マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 30森嶋猛&マイバッハ谷口 31代-40代 31杉浦貴&田中将斗 32マイキー・ニコルス&シェイン・ヘイスト 33ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 34丸藤正道&矢野通 35ランス・アーチャー&デイビーボーイ・スミスJr. 36潮﨑豪&マイバッハ谷口 37拳王&マサ北宮 38杉浦貴&拳王 39丸藤正道&マイバッハ谷口 40潮崎豪&小峠篤司 41代-50代 41モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム 42中嶋勝彦&マサ北宮 43潮崎豪&清宮海斗 44中嶋勝彦&マサ北宮 45丸藤正道&齋藤彰俊 46中嶋勝彦&潮崎豪 47マイバッハ谷口&火野裕士 48モハメド・ヨネ&クワイエット・ストーム 49中嶋勝彦&潮崎豪 50杉浦貴&KAZMASAKAMOTO 51代-60代 51中嶋勝彦&潮崎豪 52丸藤正道&望月成晃 53イホ・デ・ドクトル・ワグナー・ジュニア&レネ・デュプリ 54杉浦貴&桜庭和志 55中嶋勝彦&マサ北宮 56マサ北宮&清宮海斗 57丸藤正道&武藤敬司 表話編歴GHCジュニアヘビー級タッグ王者初代-10代 1丸藤正道&KENTA 2金丸義信&杉浦貴 3日高郁人&藤田ミノル 4金丸義信&杉浦貴 5ジェイ・ブリスコ&マーク・ブリスコ 6鈴木鼓太郎&リッキー・マルビン 7土井成樹&吉野正人 8鷹木信悟&B×Bハルク 9KENTA&石森太二 10金丸義信&鈴木鼓太郎 11代-20代 11リッキー・マルビン&石森太二 12金本浩二&タイガーマスク 13丸藤正道&青木篤志 14金丸義信&KENTA 15鈴木鼓太郎&青木篤志 16スペル・クレイジー&リッキー・マルビン 17SUWA&平柳玄藩 18獣神サンダー・ライガー&タイガーマスク 19小川良成&ザック・セイバーJr. 20石森太二&小峠篤司 21代-30代 21小川良成&ザック・セイバーJr. 22石森太二&小峠篤司 23拳王&大原はじめ 24TAKAみちのく&エル・デスペラード 25原田大輔&小峠篤司 26拳王&大原はじめ 27原田大輔&小峠篤司 28邪道&外道 29原田大輔&小峠篤司 30石森太二&Hi69 31代-40代 31HAYATA&YO-HEY 32石森太二&Hi69 33小川良成&田中稔 34Hi69&田中稔 35大原はじめ&熊野準 36小川良成&鈴木鼓太郎 37原田大輔&タダスケ 38鈴木鼓太郎&小峠篤司 39HAYATA&YO-HEY 40小川良成&HAYATA 41代-50代 41原田大輔&小峠篤司 42小川良成&HAYATA 43原田大輔&大原はじめ 44吉岡世起&進祐哉 45小峠篤司&大原はじめ 46NOSAWA論外&Eita 47小川良成&HAYATA 48吉岡世起&進祐哉 49小峠篤司&YO-HEY 表話編歴GHCナショナル王座初代-10代 1杉浦貴 /2中嶋勝彦 /3拳王 /4藤田和之 /5杉浦貴 /6望月成晃 /7拳王 /8船木誠勝 表話編歴世界ヘビー級王者初代-10代 1田中将斗 2永田裕志 3大谷晋二郎 4崔領二 5田中将斗 6川田利明 7佐藤耕平 8バンビキラー 9関本大介 10崔領二 11代-20代 11ザ・シーク(英語版) 12佐藤耕平 13KAMIKAZE 14曙 15ジェームス・ライディーン 16佐藤耕平 17船木誠勝 18佐藤耕平 19鈴木秀樹 20佐藤耕平 21代-30代 21田中将斗 22小幡優作 23田中将斗 24関本大介 25火野裕士 26佐藤耕平 27クリス・ヴァイス 28田村ハヤト 29田中将斗 30杉浦貴 表話編歴NWAインターコンチネンタルタッグ王者非公認 サモア・ジョー&ケイジ・サコダ スティーブ・コリノ&マイク・ラパダ 初代-10代 1大谷晋二郎&石川雄規 2大谷晋二郎&田中将斗 3ネイサン・ジョーンズ&ジョン・ヘンデンリッチ 4橋本真也&小川直也 5トム・ハワード&マット・ガファリ 6橋本真也&小川直也 7スティーブ・コリノ&CWアンダーソン 8大谷晋二郎&田中将斗 9大森隆男&越中詩郎 10橋本真也&藤原喜明 11代-20代 11大谷晋二郎&大森隆男 12田中将斗&坂田亘 13佐藤耕平&崔領二 14日高郁人&藤田ミノル 15スティーブ・コリノ&Y2P-160kg 16佐藤耕平&崔領二 17大森隆男&中西学 18高山善廣&佐藤耕平 19藤田ミノル&菅原拓也 20ミスター・レスリングIII&チャールズ・エヴァンス 21代-30代 21崔領二&浪口修 22佐藤耕平&KAMIKAZE 23日高郁人&澤宗紀 24大谷晋二郎&曙 25佐藤耕平&KAMIKAZE 26田中将斗&ゼウス 27植田使徒&小幡優作 28曙&関本大介 29大谷晋二郎&KAMIKAZE 30田中将斗&杉浦貴 31代-40代 31佐藤耕平&関本大介 32田中将斗&ジェームス・ライディーン 33TARU&ハートリー・ジャクソン 34曙&将軍岡本 35小幡優作&KAI 36佐藤耕平&鈴木秀樹 37将軍岡本&吉江豊 38田中将斗&火野裕士 39TARU&クリス・ヴァイス 40田中将斗&菅原拓也 41竹田誠志&宮本裕向 42岩﨑永遠&佐藤嗣崇 43火野裕士&クワイエット・ストーム 44大谷晋二郎&今成夢人 表話編歴プロレス大賞MVP歴代受賞者1970年代 1974アントニオ猪木 1975ジャイアント馬場 1976アントニオ猪木 1977アントニオ猪木 1978アントニオ猪木 1979ジャイアント馬場 1980年代 1980アントニオ猪木 1981アントニオ猪木 1982タイガーマスク 1983ジャンボ鶴田 1984ジャンボ鶴田 1985藤波辰巳 1986天龍源一郎 1987天龍源一郎 1988天龍源一郎 1989前田日明 1990年代 1990大仁田厚 1991ジャンボ鶴田 1992高田延彦 1993天龍源一郎 1994橋本真也 1995武藤敬司 1996小橋健太 1997蝶野正洋 1998小橋健太 1999武藤敬司 2000年代 2000桜庭和志 2001武藤敬司 2002ボブ・サップ 2003高山善廣 2004佐々木健介 2005小島聡 2006鈴木みのる 2007三沢光晴 2008武藤敬司 2009棚橋弘至 2010年代 2010杉浦貴 2011棚橋弘至 2012オカダ・カズチカ 2013オカダ・カズチカ 2014棚橋弘至 2015オカダ・カズチカ 2016内藤哲也 2017内藤哲也 2018棚橋弘至 2019オカダ・カズチカ 2020年代 2020内藤哲也 2021鷹木信悟 「https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=杉浦貴&oldid=88274999」から取得 カテゴリ:日本のプロレスラーアマチュアレスリング出身のプロレスラー柔道出身のプロレスラープロレスリング・ノア所属のプロレスラー全日本プロレスに所属したプロレスラーZERO1にレギュラー参戦するプロレスラー日本の男子柔道家日本の総合格闘家日本の男子レスリング選手自衛隊出身のスポーツ選手陸上自衛官パンクラスに参戦した選手中京大学附属中京高等学校出身の人物名古屋市出身の人物1970年生存命人物隠しカテゴリ:ISBNマジックリンクを使用しているページウィキデータにあるWrestlingDatabaseID 案内メニュー 個人用ツール ログインしていませんトーク投稿記録アカウント作成ログイン 名前空間 ページノート 日本語 拡張 折り畳む 表示 閲覧編集履歴表示 その他 拡張 折り畳む 検索 案内 メインページコミュニティ・ポータル最近の出来事新しいページ最近の更新おまかせ表示練習用ページアップロード(ウィキメディア・コモンズ) ヘルプ ヘルプ井戸端お知らせバグの報告寄付ウィキペディアに関するお問い合わせ ツール リンク元関連ページの更新状況ファイルをアップロード特別ページこの版への固定リンクページ情報このページを引用ウィキデータ項目 印刷/書き出し ブックの新規作成PDF形式でダウンロード印刷用バージョン 他言語版 مصرىEnglishEspañolFrançais リンクを編集



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